ショートショート

猫御堂〜悪魔の

 雨が降っている。
 大雨ではないが空を覆う厚い黒雲が、雨を不気味に感じさせていた。
 ちょうどその時、私は古道具屋にいた。
 別に何か買うつもりがあったわけではないが、何となく店先に並ぶ古道具たちに魅せられていた。
 なんとも古い店で、どこが古いと言っても店自体が古かったし並んでいる道具も古いし店主もなんだか古い感じがした。店の名前は蓬莱堂。
 店主は中肉中背の眼鏡くらいしか特徴のない男で、年齢は分からない。
「いらっしゃい」
 無愛想な主人だった。
 私は雨が止むまでここで時間をつぶすことにした。
 
 雨は止む気配を見せない。
 ざーっという単調な音が店内を流れる音楽だった。
 その時、一つのビンが私の目に止まった。
 科学の実験に使うビーカーのような形をしたガラス製のビンで、コルクで栓がしてある。年代物なのか表面が薄く汚れている。
 実用品には見えないし装飾品でもなさそうだ。
 ラベルも張っていないし、よく見れば値札も付いていなかった。
 私は主人に尋ねた。
「これはなんですか」
 と、きくと
「それは悪魔のビンですよ」
 と返事が返ってきた。
 悪魔の壷。
 なるほど、そう言われれば物語か何かに出てくる悪魔の壷というものはこんな形をしていたかもしれない。
「こんなものが売れるんですか」
「時々5000円で売れます」
 こんなものが5000円もするのか。
 好奇心で私はその壷を手にとって、顔を近づけて明りにかざして見た。
 透明なガラスビンなのだから、もしかしたら悪魔が見えるかもしれない───。
 
 その瞬間、私はビンを落としてしまった。
 商品なんですから気を付けてくださいよ、と店の奥から主人が言ったのも聞いてはいなかった。
 茫然自失で足元に転がるビンをぼんやり見ていた。
(・・・中に何かいる)
 顔を近づけて瓶の中を覗いた瞬間、マッチ箱くらいの影を中に見た。しかもそれは動いていた。あの形は───。
 一瞬主人の方を見たが彼は席を外している。
 恐る恐る瓶を拾うと、それを注意深く観察する。
 不思議なことに頭の高さから落としたのに瓶には傷一つ付いていない。
 私は指で表面の汚れを拭うと、勇気をだしてもう一度その瓶を光にかざした。
 そんなはずがない。中に入っている物がそんな形をしていただけだろう、という私の希望は簡単に壊された。
 中に入っていたのはやはり人だった───。
 マッチ箱くらいの大きさの人間が入っている。人形ではない。ちゃんと生きていて中で手足を動かしている。
 これが悪魔というものか。
 もちろん悪魔を見るのは初めての私は目を凝らしてじっとその影を見た。
 ビンの中で悪魔はマッチの様な手足を動かしている。
 これが悪魔というものか。
 しかしいやに世俗的な悪魔だな、と思った。
 普通小説の中の悪魔といったら陰気な黒服の男だったり、尻尾や角が付いていたり、どこか普通でないところがあるのだが、ビンの悪魔はごく普通の人の姿をしていた。
 七三の黒髪に眼鏡をかけて、白いワイシャツに紺のネクタイを締めてねずみ色の上着とを着て同じ色のズボンを履いている。
 ごく普通のサラリーマンの格好。
 いやいや、もしかしたらこういう奴ほど極悪非道なことをやる悪魔かもしれない。だからこそこうしてここに閉じ込められているのだ。
 私はしばらく悪魔の動きを眺めていた。
 その時に気が付いたのだが、悪魔が中で何かを言っている様に見えた。小さな口がぱくぱく動いている。
 そして手はビンを中から叩いているように動いている。
 何と言っているのだろうか。
 私は好奇心の塊になってその口の動きを観察した。向こうもこちらが観察しているのが分かるのだろうか、前よりも一生懸命口を動かしだした。
 1時間近くビンと悪戦苦闘した結果、悪魔が「ここから出してくれ」と言っていることが分かった。
 なるほど、この台詞はじつに悪魔らしい。ビンに閉じ込められた悪魔の典型的な台詞だ。
 その先は大体分かる。「ビンから出してくれたお礼に願いを3つ叶えてやろう」と言って人間を誘惑して「ただし死んだら魂は俺ものだ」と言って、こちらをうまく騙してしまうだろう。
 私はちょっと考えた。
 魂を悪魔に売るというのがどれほどのリスクか分からないが、うまくやればとてつもない利益をもたらす。小説などでは時々悪魔をうまく追い返す話も出てくる。
 しかし魂を売り渡すのだ、死後の安息など有りえない。待っているのは地獄である。
 この世の天国かあの世の地獄か。
 そこからさらに1時間ほど私は悩んだ。
 
 雨はまだ止んでいない。一層激しくなった気がする。
 私はついにこのビンを買うことにした。
 買って悪魔に願い事をするかどうかは別にしても、買う気になった。
 もし願い事をしたとしても、どうせ天国にいけるような聖人君子の生活をしているわけではないのだから、どうせ地獄に行くならこういう楽しみもあっても構わないだろう。
 この世の天国をとったのだ。
 そういうわけで買うことにした。
 私は財布から取り出した大金の千円札を5枚、主人に渡した。
「ありがとうございます」
 相変わらず無愛想な主人だった。
 私はとうとう5000円で悪魔の力を手に入れた。
 最初はこんなビンが5000円もするのかと思ったが、悪魔の力を手に入れたと思うとそれも高くはない気がした。むしろ安い。
 たった5000円で世界を滅ぼせるし、大金持ちにもなれるし、世界中の美女と遊ぶことだってできる。
 そう思うとわくわくした。
 バケツをひっくり返したような雨が降っている。
 ───悪魔との対面。
 私はコルク栓に手をかけると、力一杯引っぱった。
 ぽんという空気の抜ける音。
 その音と共に中のあの悪魔が外へ飛び出した。
 出た瞬間に悪魔は私と同じくらいの背の高さになった。
 そうあのねずみ色の上着の七三の男が私の目の前に立っている。
 立っていると思った瞬間、男は私を見下ろしていた。
 そしてどんどん男の身長が伸びてゆく。あっという間に天井に届くくらいになった。と思ったら彼の靴は私の膝くらいの高さがある。
 ───違う。
 私の身長が縮んでいる。私の身長がマッチ箱くらいになってしまったのだ。
 と思った時には私はあの悪魔のビンの中に吸い込まれつつあった。
そうか・・・違うんだな・・・悪魔のビンは・・・
  悪魔が・・・・・入っているビンじゃなくて・・・・・
   このビンそのものが・・・
 
 雨があがった。
 蓬莱堂の主人が店先に商品とは思えないがらくたのような古道具を並べている。
 とその手を止めて床に落ちているものを拾った。
 ビーカーのようなビン。
 彼はそのそばに落ちているコルクの栓を締めると、陳列棚に置いた。
 晴れ上がった空が広がっている。
 店主は店を逃げるように出ていくねずみ色の上着の背中にいってらっしゃいませ、と声をかけた。

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